2014年9月23日火曜日

高畠俊太郎 20周年記念インタビュー 後編



■ 高畠俊太郎 20周年記念 インタビュー 後編


1994年のメジャーデビュー以来 
ULTRA POP、POINTER、AUTO PILOT、ニヤニヤ、高畠俊太郎BAND... 様々なバンドを率いて
その類い稀なるセンスとバランス感覚を発揮してきた高畠俊太郎。
現在も精力的に活動を重ねる彼だが
今年2014年は高畠にとってデビュー20周年の節目の年を迎える。
今回は彼の20年のキャリアを総括するという意味を含めて
今までの作品やエピソードを語ってもらった。


*このインタビューはあくまでも高畠俊太郎個人の記憶(かなり曖昧)によるものなので
細かいところや大きいところも事実と違うところが多々あると思いますが、 ご了承下さい。



■ 1999年 AUTO PILOT 結成


セカンド・サマー・オブ・ラブって感じで、遠い夏の記憶のようです。

それでは、POINTER脱退から
最新作「Transfer In Flowing Lights」までの期間を。
POINTERからAUTO PILOTまでの空白期間のエピソードが何かあれば聞かせてください。

高畠 : 完全に空白。もうバンド辞めようとも思ったし、どうしていいかしばらく分からなかった。
何してたんだか全然思い出せない。たぶん自分にとって凄く大事な時期だったんだと思う。
そう言えばその頃 知り合いを経由してMONOの後藤君から
「新しいバンド組むからボーカルやらない?」って電話あったんだけど
その時はほんのタッチの差でウオとAUTO PILOTをやるつもりになってたから断ったんだ。
人生タイミングだけど、もしあそこで一緒にやってたらオレがMONOで歌ってたかと思うと不思議な感じだよ。

そんな事もあったんですね。AUTO PILOTのメンバーとはどのようないきさつで
出会ったのでしょうか?

高畠 : フットサルのチームをやってて、そこで相手チームにいたウオズミと知り合いになってバンドの話しになったら
ウオがシーケンサーとかサンプラーを持ってるって言ってたので、じゃあスタジオ入ってみない?って感じで始まった。
POINTER後期の頃からオレらサンプラーとかシーケンサーで一晩中遊んでて
コンピューターやサンプラーとシューゲイズ的なノイズとロックンロールを組み合わせた新しい音像を探してた。
それでとにかくライブやっちゃおうってナカイにも声掛けて3人でライブやった。初ライブは下北沢CLUB251。
ちなみにセットは「C-C-C」と「Surf Game」の二曲だけで、両方とも歌詞無しで10分以上やってた。
ナカイは今でもリアルバースディでそんな感じでやってて相変わらずブレてない。カッコいいよ。

シューゲイザーにクリックハウスの雰囲気を持ち込んだりと
新たな方法論を試そうとしていました。複雑な手法なので苦労もあったのではないでしょうか?

高畠 : なにしろ当時はすぐ真似出来るようなお手本のバンドがなかったから自分達で色々試行錯誤しながら進んでたね。
シーケンサー、サンプラー、シンセ、ミキサー、コンピューター。色々組み合わせて一番面白い使い方を探してた。
PCとかでシーケンスを流してそれに合わせて演奏するだけだとやっぱり面白く無いので
最終的にはサンプラーのループとミキサーをリアルタイムでプレイしながら演奏するスタイルに行き着きました。

クリックに生演奏を重ねるだけだけだと安定感の変わりに、生演奏ならではのビート感が失われるということはありますが
リアルタイムでループ物をいじっていくのは、ライブではちょっとドキドキする手法ですね。

高畠 : 色々リスクはあるんだけど、やっぱりリアルタイムの緊張感というか自由度がないとつまんない。
ベースのAKOが抜けた後、ウオがベース弾くのが一番良いんじゃないかって事になって
その時からスーパーカーのコーダイにエレクトロニックセクションを手伝ってもらいました。
この頃はメンバーみんなでよくフェスとかレイブとか行って遊び倒してたなー。
セカンド・サマー・オブ・ラブって感じで、遠い夏の記憶のようです。









    AUTO PILOT 「SURF GAME RIDER」(2001)

     AUTO PILOTのデビュー・ミニアルバム。
     ビッグビートやクリックハウスから影響を感じさせるシーケンスパターンに
     USインディ直系のギターノイズを融合させた意欲的な作品。
     このアルバムの発売年には、FUJI ROCK FESTIVALにも出演。







    AUTO PILOT 「SUN GIRL STAR GIRL」(2002)

     AUTO PILOTのメジャー・デビュー作品。
     前作さながらの打込みはそのままに、シューゲイズの色合いが更に濃く。
     #9には、この後長きにおいて高畠の作品のエンジニアを手がける事になる
     中村公輔によるリミックスが収録されている。








    AUTO PILOT 「WHITE LIGHT RIDE」(2004)

     AUTO PILOT、3作目になるフル・アルバム。
     サイケデリックな質感を増した本作。
     横尾忠則の描くジャケットも印象的。
     代表曲「C-C-C」を含む全10曲。







■ 2006年。ソロ活動開始。 ALBUM「爽雨」


現ちゃんがもう一度みんなと再会させてくれた。

2006年からはソロ活動を始めます。エピソードを聞かせてください。

高畠 : この頃まで自分的にはソロ活動とか全然考えてなかったし、どっちかって言うとダサイと思ってたから
誘われてもあんまりやってなかったんだけど、AUTO PILOTがなかなか思うように活動出来なくなってきて
でも何かしら活動を続けていきたくて、とりあえずひとりでもやっていようと。
でも最大の理由は下北に440が出来た事かな。それってその後の音楽シーンに凄い影響あったと思う。

440が下北沢に出来た頃だったんですね。ソロ活動を始めた直後には
ソロデビューアルバム「爽雨」の制作を開始していますね。

高畠 : 初めてのソロのレコーディングで
それまでずっとやってきたバンドのレコーディングと全然違うやり方だったから最初はかなり戸惑った。
アンサンブルを作る時間が圧倒的に少なかったし、ひとりで全部決めなきゃならなかったから。
でもこれが凄く良い経験になって、この後の「Transfer In Flowing Lights」の制作の時にとても役立ちました。
この頃はまだオートが活動出来ていたので、このアルバムはAUTO PILOTでは出来ない音像を目指して作ったんだけど
POINTERのミキにエレキギターで参加してもらって、この時の音像が軸になったからこそ
その後の俊太郎BANDのサウンドに繋がっていったんだと思います。



「爽雨」が一段落ついた後の活動にはULTRA POPのベースだった石川具幸さんが参加されていたりと
また俊太郎さんを囲む雰囲気が変わってきていますね。
ULTRA POPの解散以降は全く関わりはなかった?

高畠 : 下北440で始めた「headLine」という自主イベントに上田現ちゃんにゲストで出てもらった時
現ちゃんのサポートとして来たトモと凄く久しぶりに再会しました。
お互い別の道だけどまだがんばっている事を励まし合ってその日はそれで終わったんだけど
そのあとしばらく経った頃、現ちゃんが亡くなった日にすぐにトモが電話で知らせてくれた。
慌てて飛び出して、マグミさんや恭一さんや
ULTRA POP時代にお世話になったままブっちぎってしまったスタッフのみんなとも再会する事が出来ました。
現ちゃんがもう一度みんなと再会させてくれた。
そう感じたら、もう一度トモとバンドをやりたいと思い始めました。

上田現さんの存在の大きさを感じるエピソードですね。
この年には「sing as you are」のレコ初ライブを下北沢440で行っています。

高畠 : 「sing as you are」のレコ発ライブをどうしてもバンドでやりたくて、トモに一緒にやろうって声掛けて
「爽雨」から一緒にやってたミキと、スーパーカー、AUTO PILOTから腐れ縁のコウダイを誘ってバンド結成です。
この時やっとバンドに戻って来れたという感触があって、本当に凄く嬉しかった。
やっぱりバンドが一番好きなんだな。




    ■ エンジニア 中村公輔さんからのコメント

     俊太郎さん、20周年おめでとうございます!
     僕が俊太郎さんと出会ったのはAUTO PILOTを始めてからの時期
     「SUN GIRL STAR GIRL」のリミックスの時でした。
     それからもう10年以上も月日が流れているんですね、信じられない…。
     何を隠そう僕は当時はアーティスト/リミキサーとして活動していて
     たまにアレンジ仕事の素材録りで録音する以外はエンジニア仕事はしていませんでした。
     「専門教育を受けた訳でも、スタジオに勤務していた訳でもない僕が
     仕事でエンジニアをやるなんてとんでもない!」
     そう考えて、友達のバンドを録音したりはしていましたが
     お仕事としては基本的にお断りしていました。
     AUTO PILOTのレコーディングは
     1週間だけアシスタントのバイトがあるから手伝ってよと言われて出向いたんですが
     その時のエンジニアが
     「今回、俺プロデューサーやるから録っといて!」
     と唐突に全部任されてしまったんです。
     その後も、1週間のはずがズルズルと数ヶ月間ヤマハのスタジオに軟禁されて
     結果的に僕はエンジニアだと言う事になってしまいました(笑)
     完全に出会いが転機になって、今の僕がある感じです。
     それから後の作品は全て関わらせていただいて、長い付き合いになっています。
     俊太郎さんの恐ろしいところは、この歳でもまだまだ円熟とか枯れとかに向かわないで
     むしろ若く鋭く技術まで向上すると言う謎な転がり方をしているところです。
     実は本人、もう大人になってる事に気づいてないんじゃないでしょうかねー?(笑)
     まだまだ「これから」が見られるのを期待しています。
     また一緒にやりましょう!
     中村公輔 Twitter






    高畠俊太郎 「爽雨」(2006)

     高畠俊太郎、ソロによる1枚目。
     これまでのキャリアでは想像できなかったような
     非常にリラックスした一面をアコースティックな中にも
     憂いのあるサウンドで描いている。








■ 2009年 ~15th anniversary - Transfer In Flowing Lights~



どんな人と一緒に音楽を鳴らすか、それが大きな意味を持っているんですよね。

2009年には活動15周年を迎えてベスト&トリビュートアルバムの発売がありました。
この時期は新たに俊太郎さんを知った若い年齢のファンも多いんじゃないでしょうか?

高畠 : この時はベスト&トリビュートの制作から始まって
ずいぶん長い期間準備してたのですごい大変だったなー。
「15周年ライブやろっか?」って話しになった時に
どうせやるんならリリースもあった方が良いんじゃない?ってスタッフに言われたんだ。
その時は「じゃあベスト盤作ろう」って答えたんだけど
headlineのゲストをThe Pillowsのさわおくんに頼んだ時に
さわおくんが「どうせリリースするなら二枚組にしてトリビュート盤も作れば?」って言い出して。

トリビュートアルバムは山中さわおさんの発案だったんですね。

高畠 : そう。最終的には当初イメージしてより全然大きな事になってバタバタした。
ファンの人達も含め本当に沢山の人達にお世話になったので
全部終わった時は「無事終わって本当に良かった」ってホッとした気持ちが一番大きかった。
でもそのあと時間が経つにつれて、「みんなありがとう!」っていう嬉しい気持ちがムラムラ湧いてきて
それがその後の活動を続けていく大きな支えになりました。

15周年を経て、2010年には「Transfer In Flowing Lights」を発売しています。
タイミング的にも非常に慌ただしかったのではないでしょうか?

高畠 : 「new fine records」という自主レーベルを立ち上げて作ったので
スケジュールからスタジオ、制作費、流通やプレス、それこそレコーディング中のお弁当まで
(金が無いからみんなでソーメン茹でて食ったりした)
全部自分らで考えながらの制作でした。
作品としては、ソロ二作目でようやくその時自分がやりたい事が出来たという満足感がありました。

俊太郎さんのキャリアでも
「Transfer In Flowing Lights」は非常に重要なアルバムになったのではという雰囲気を受けます。

高畠 : すごく丁寧に作ったアルバムで、歌の温度感といいミックスの方向といい、今でも全然聴けると思う。
猛暑の中、横浜山手の中村公輔の深海スタジオに三ヶ月間、コツコツ通いながら手作り感満載で作りました。
こんなレコーディングも、もう出来ないと思うよ。
トモ、コーダイ、まっちゃん、ミキ、そしてコースケ。宝物のひとつですね。

2012年には高畠俊太郎BANDのドラムがコーダイさんから松井香趣望さんに。

高畠 : コーダイが青森に帰る事になった時はすごくショックで猛烈に寂しかったな。
オートパイロットから10年近く一緒に音を鳴らしてきたし
何しろレイブ行ったりフェス行ったり近所の公園とかでしょっちゅう一緒に遊んだからね。
でもクヨクヨしててもしょうがないからとりあえずブログでメンバー募集してみよう
って半分冗談みたいな感じだったんだけど
でもそこに果敢にも応募してきたのが現ドラムのカスミです。すごい勇気だよ。
ミキが抜けてまっちゃんが加わった時もそうだったけど
カスミ加入でサウンドの方向やバンドの雰囲気がまた大きく変わってきた
そうやってこれからも変わっていくと思う。
どんな音楽を目指すかももちろんだけど、どんな人と一緒に音楽を鳴らすか、それが大きな意味を持っているんですよね。
つくづくそう思います。

今回20周年という事で前編、後編と長くインタビューに答えて頂きました。
最後に20年を迎えた俊太郎さんの、これからの活動や思う事について聞かせて頂きたいです。

高畠 : 今回こうやって自分のこれまでの音楽の事を長々と話してみて、改めて自分の事を再確認できました。
これからも転がりながら、音楽を、バンドを、続けていけたら嬉しいです。
ずっと応援してくれてるみんな、本当にありがとう。
良い時も良く無いときもあると思うけど、これからもよろしく。
11月23日に下北沢440で会いましょう!












    高畠俊太郎 「SING AS YOU ARE ~'07 live log~」(2008)

     2007年に行われたライブから高畠自身でセレクトした
     ベスト・セレクション・ライブ・アルバム。
     リズムマシンやフィードバックを駆使したテイクから
     ピアノ弾き語りまで、高畠俊太郎の音楽の幅広さを見ることが出来る。







    高畠俊太郎 「09 ← '94 」(2009)

     デビュー15周年を記念してのベスト&トリビュート・アルバム。
     トリビュートは山中さわお(the pillows)近藤智洋、岡本定義(COIL)
     HARCO、iLL、hurdy gurdy、古明地洋哉
     杉本恭一(LÄ-PPISCH)という豪華な顔ぶれ。
     高畠の楽曲をそれぞれのアレンジでカヴァーしている。








    高畠俊太郎 「transfer in flowing lights」(2010)

     高畠俊太郎 ソロ2枚目になるフルアルバム。
     中村公輔の深海スタジオで制作された本作は
     全編を通して流れる柔らかい手触りに
     日常に寄り添うかのようなテンションが優しい。
     間違いなく、名盤。








    ■ 高畠俊太郎

     90年代初頭から日本の音楽シーンのオバーグラウンドとアンダーグラウンドを行き来し
     いくつかのバンドの結成解散を繰り返しながら作品を発表。
     轟音サイケデリックなギターバンドに始まり、コンピューターベースのチルアウトミュージック
     ピアノやアコースティックギターでの弾き語りなど
     日常を切り取った歌詞はどこまでも響き渡り
     ミュージシャン、バンドからの信頼も厚く
     下北沢440で行われている自主企画「headLine」には
     ジャンルを超え多くのミュージシャンが集まっている。
     高畠俊太郎 Official


    ■ ライブスケジュール

     2014.11.23(sun)
     「高畠俊太郎 debut 20th anniversary live " '14←'94"」
     @東京 下北沢 440(http://www.club251.co.jp/440/)
     *open/start:18:00/19:00 *adv/door:¥3,000/¥3,500
     <act>・高畠俊太郎BAND (Bass:石川具幸/EG:松平賢一/Dr:松井香趣望)
     <special guest>・ULTRA POP
      *チケット発売:(ローソン、440、本人WEB)にて9.23より予約受付。
      *info:03-3422-9440(東京 下北沢 440)



2014年8月23日土曜日

高畠俊太郎 20周年記念インタビュー 前編



■ 高畠俊太郎 20周年記念 インタビュー 前編


1994年のメジャーデビュー以来 
ULTRA POP、POINTER、AUTO PILOT、ニヤニヤ、高畠俊太郎BAND... 様々なバンドを率いて
その類い稀なるセンスとバランス感覚を発揮してきた高畠俊太郎。
現在も精力的に活動を重ねる彼だが
今年2014年は高畠にとってデビュー20周年の節目の年を迎える。
今回は彼の20年のキャリアを総括するという意味を含めて
今までの作品やエピソードを語ってもらった。


*このインタビューはあくまでも高畠俊太郎個人の記憶(かなり曖昧)によるものなので
細かいところや大きいところも事実と違うところが多々あると思いますが、 ご了承下さい。



■ 1988 ULTRA POP 結成



今考えてみるとメンバーもスタッフもみんなすごく若かったね。

20周年おめでとうございます。
今回は20年のキャリアを振り返るという形でインタビューを進めたいと思っております。
最初のバンド、ULTRA POP結成のいきさつから聞かせて頂きたいです。

高畠 : ギターのタカシとベースのトモが高校の一つ上の先輩だった。
高校時代はお互いに色んなバンドを掛け持ちしながらやってたけど
オレの高校卒業のタイミングでULTRA POPを結成しました。

ULTRA POPのインディーズ盤はかなり初期のUKプロジェクトからのリリースですよね。
どういった縁だったのでしょうか?

高畠 : 忘れた。どういう流れだったかな。
マネージメントが先だったか、リリースが先だったか。
とにかくUKプロジェクト現社長の遠藤さんと当時キティーアーティストだった
その後マネージャーになる北島さんと作りました。
高校時代はお互いに色んなバンドを掛け持ちしながらやってたけど
オレの高校卒業のタイミングでULTRA POPを結成しました。

俊太郎さん自身もまだ20代前半の頃ですよね。
バンドやレコーディングはどんな雰囲気だったのでしょうか。

高畠 : レコーディングは、キティー伝説の箱根スタジオで合宿しながらのレコーディング。
温泉入ったり、花火やったり、遊びながらRECしてたんじゃないかな。
今考えてみるとメンバーもスタッフもみんなすごく若かったね。
ただただ楽しかった。

当時はLA-PPISCHのメンバーとの交流が盛んだったようですね。

高畠 : 当時キティーでLA-PPISCHのマネージャーだった北島さんに声を掛けてもらって
キティーアーティストと契約したんです。
その後、BARBEE BOYSとLA-PPISCHとULTRA POPでキティーから独立しました(たぶん)。
だからLA-PPISCHは直系の先輩なんです。お世話になりっぱなしです。
ちなみにもう一方のキティー独立組が現オフィスオーガスタです(だったと思う)
だから今でもオーガスタは知り合いばっかりで、COILのサダさんと知り合うきっかけにもなりました。








    ULTRA POP 「POP ULTRA」(1991)

     ULTRA POPインディーズ時代の作品。
     ビートパンクの時代の雰囲気やLA-PPISCH等の影響を感じさせるが
     オルタナティヴやマンチェスター的なサウンドも。
     メジャーデビュー盤にも収録されている「マリコ」「マイナス」も
     既にこの時代からのレパートリー。







■ 1994年 メジャーデビュー


事務所もレーベルも全部やめました。

そして1994年にメジャーデビューです。

高畠 : 当時テイチクレコードのバイディスレーベル内にティーグラウンドミュージックという
ロックの新しいレーベルを立ち上げるという話しがあって
ディレクターの西山さんに会ってみたら面白い人だったので立ち上げに参加する事にしました。
西口の新宿ロフトがまだあってワンマンやったら人が凄い来て笑った。

メジャーデビュー後、アルバム「Games」を発表する訳ですが
この時代で思い出す事って何かありますか?

高畠 : 今考えてみるとGamesは凄くお金掛けて作ったなーと。
まだアナログのオープンリールで録ってたのでスタジオもちゃんとしたスタジオを何カ所か使って
(横浜ランドマーク、観音崎マリン、銀座)長い間レコーディングしてました。
REC後半戦では作業の最後に毎日一回「イヌ」をオフマイクでRECしてた。
「ドーパミンの海」が終わってしばらくしてからリプライズしてくるバージョンの「イヌ」はその中のワンテイクです。
ミラクルテイク!しばらくホテル暮らししたりしてバブリーだったなー。

しかしデビューして1年ちょっとでULTRA POPは解散。かなり急ですよね。
なにか事情があったのでしょうか。

高畠 : 事務所からメンバーチェンジをしろと言われて頭に来て解散してしまった。
事務所もレーベルも全部やめました。
高校生の時から一緒にやってきたメンバーだったのでついつい感情的になってしまった。若かった。





    ULTRA POP 「Games」(1994)

     ULTRA POPのメジャーデビューアルバム。
     当時のUKやUSインディとの同時代性を感じさせる作品。
     The Velvet Undergroundを彷彿とさせるサイケデリック。
     「メリーゴーランド」「ドーパミンの海」等、
     タイムレスなギターノイズを聴かせてくれる。







■ 1995年 POINTER 結成


90年代と下北の青春が詰まった渾身の力作です。もうこんなアルバム絶対作れない。

ULTRA POP解散後、間隔を置く事なくPOINTERを結成されていますね。
real birthdayのメンバーとの混合バンドですがどういういきさつだったのでしょうか?

高畠 : ULTRA POPのデビュー前からreal birthdayの連中とは下北沢でかなり遊んでて
ライブの打ち上げのあとにみんなでスタジオ(井の頭線わきのアンチノック)
に入って朝まで延々セッションしたりしてた。
ULTRA POP解散した後の事は何も考えてなかったんだけど、ウルポのリハで「解散しよう」と言う話をして、
その帰りにjimmyんちに寄って「ULTRA POP解散する」って話てたらjimmyが
「じゃあオレもreal birthday辞めるから一緒にバンドやろうぜ」って突然言い出してそこから。




高畠 : アルバムのレコーディングはありえない事ばっかでメチャメチャだったけど
メジャーレーベルであんなレコーディングが出来たって事が誇りです。
この話ししだしたらそれだけで一日かかっちゃうからそれはまたの機会に。
とにかく90年代と下北の青春が詰まった渾身の力作です。もうこんなアルバム絶対作れない。

当時、SUPERCARのナカコーさん(現ILL、LAMA)がポインターを愛聴していたそうですね。
後発のバンドに与えた影響も大きかったのではないでしょうか?

高畠 : シューゲイザーって言葉がまだ一般化する前で
SUPERCARはレーベルの後輩バンドでディレクターも一緒だったので色々影響はあったと思います。
なにしろSUPERCARの初ライブが青森での全盛期のポインターの前座だったんだから
産まれたてのヒヨコみたいなすり込みはあったと思う。サウンド面だけじゃなくてライブの姿勢や外に対する態度とか。
あいつら態度がふてぶてしい所が1番似てるんじゃないかな。

そんなPOINTERもこのミニアルバム1枚とシングルをリリース後に、俊太郎さんの脱退となるわけですが。

高畠 : まあ普通に考えてあんなやり方でやってたら
長く続かないのは最初から分かってたし、潮時だったと思う。
具体的な理由のひとつとしては、
オレは「クラクラ」をゴールデンタイムのお茶の間にシレ~と登場させたかったのね。
それって凄く面白い事だと思ってた。
オレとしてはこんな凄いバンドがアンダーグラウンドにこだわるのはもったいないと思ってたんだけど
でもその意識のバランスがメンバー間で少しずつズレ始めて結局まとまらずに崩壊したんだと思う
下北沢CLUB Queでの最後の前のワンマンライブで本番直前にメンバーで集まって
「今日は一曲もやらない、1時間半フリーセッション」という暴挙に出てメチャクチャやったら
少しずつお客さん帰り始めて。
最終的に演奏中に客電付けられて電源落とされて音出なくなって終わった。

凄まじいですね...

高畠: すげー怒られた。そのあと何年かQueには出入り出来なかったな。












    POINTER 「headline」(1996)

     POINTERのメジャーデビューミニアルバム。
     轟音のトリプルギターは今尚新鮮。
     アルバムのラストを飾るのは
     トリビュートではILLがカヴァーした「seeing」








    ■ 高畠俊太郎

     90年代初頭から日本の音楽シーンのオバーグラウンドとアンダーグラウンドを行き来し
     いくつかのバンドの結成解散を繰り返しながら作品を発表。
     轟音サイケデリックなギターバンドに始まり、コンピューターベースのチルアウトミュージック
     ピアノやアコースティックギターでの弾き語りなど
     日常を切り取った歌詞はどこまでも響き渡り
     ミュージシャン、バンドからの信頼も厚く
     下北沢440で行われている自主企画「headLine」には
     ジャンルを超え多くのミュージシャンが集まっている。
     高畠俊太郎 Official


    ■ ライブスケジュール

     2014.11.23(sun)
     「高畠俊太郎 debut 20th anniversary live " '14←'94"」
     @東京 下北沢 440(http://www.club251.co.jp/440/)
     *open/start:18:00/19:00 *adv/door:¥3,000/¥3,500
     <act>・高畠俊太郎BAND (Bass:石川具幸/EG:松平賢一/Dr:松井香趣望)
      *チケット発売:(ローソン、440、本人WEB)にて9.23より予約受付。
      *info:03-3422-9440(東京 下北沢 440)



2014年4月15日火曜日

溶けない名前 インタビュー



2013年、約22年ぶりに発売されたMy Bloody Valentineの新譜の記憶も新しい中
近年日本でも「死んだ僕の彼女」「きのこ帝国」に代表されるような若い世代のバンドから
新たなシューゲイザーの盛り上がりを感じられるようになってきた。
そんなシューゲイザーブームとも言える昨今
自らを"歌謡シューゲイザーバンド"と銘打ったバンドが名古屋を拠点に活動している。
彼らの名前は「溶けない名前」。
歌謡曲とギターノイズの狭間を行き来しつつ、独自の"歌謡シューゲイザー"を探る彼らに話を聞いた。



メンバーみんなで「シューゲイザーって何だろう?」って勉強しだしたんですよ。


ではバンド結成のいきさつから聞かせていただけるでしょうか?

イトウ : 2012年の3月に結成しました。僕とドラムのニワさんが以前バンドを組んでいて
それから2年くらい何もバンドをやっていなかったんですけど、飲み友達で。
それで「久しぶりにセッションでもやってみようか」ってそれでやってみたら 結構楽しくて。それで他の友達も誘ってセッション会でも設けてみようかって流れになって。
毎週やってたんですよ。その流れでたまたま以前のベースを担当してくれていたソカベくんと
現在キーボードを担当している、うらんさんもこのセッション会のメンバーだったんです。
予定が合うのが、この3,4人って事が多かったので
このメンバーで何回かセッションに行ってたんですけど
僕が以前のバンドをやっていたころに曲を作っていた事があったので
「じゃあ ちょっとつくってくるよ」って、自作の曲を持って行ったのがきっかけですね。

Youtubeに投稿されたデモ音源は2012年の9月、結成して数ヶ月と
割と早い時期に公開されていますよね。結成してすぐに音源作りに入ろうという流れだったのでしょうか?

イトウ : 音源は、結成して2週間程度で1発録りの簡素な形のデモ音源を録音して
無料でライブハウスで配っていたんですよ。
それで1stを秋くらいから年明けにかけてレコーディングを始めて。

溶けない名前 「ソーダ室へ行こうよ」




バンド結成からスパンを開けずに音源作りへと動いたって形なんですね。
その頃から現在の音に近い雰囲気だったのですか?

イトウ : そうですね。「歌謡曲っぽいね」って曲が言われてて。
なんで音はシューゲイザーになったんだろう…?

"歌謡シューゲイザー"という印象的なコピーを用いてますよね。
なので元々シューゲイザーという表現を持ち込む事を決めたままバンドを始めたのかと思っていたのですが。
その様子だと、そうでは無さそうですね。

イトウ : 元々逆で。 曲が歌謡曲っぽかったんですけど、最初のセッションの時点で。
偶然、グワーっと歪ませたような音が出来て。僕がそんなギター鳴らしていたら
メンバーが「曲は歌謡曲っぽいのに、音がシューゲイザーだね。」って言い出して。
それで「歌謡シューゲイザー」って面白いからこれでやろうよって。

最初から"歌謡シューゲイザー"をコンセプトとしてやっていたわけではなくて
偶然に生まれた音ありきなんですね。

イトウ : そう。で、その後にメンバーみんなで
「シューゲイザーって何だろう?」って勉強しだしたんですよ。
元々my bloody valentine*だとかRide*だとか有名な所は知っていたんですけど
「日本のシューゲイザーバンドってどんなだろう?」ってみんなでYoutubeで検索して。
それでさらに広げていきました。

面白いですね。シューゲイザーみたいな音のバンドをやる方って
最初からシューゲイザーが大好きでっていうパターンが多いと思うので。
偶然から生まれた音からシューゲイザーを探っていくパターンはめずらしいんじゃないでしょうか?

うらん : わたしは今でもmy bloody valentineだとか、そういったものを聞いた事がなくて…(笑)
だから「死んだ僕の彼女」*さんだけ知ってて、他を全く知らないんです。

イトウ : あまり知ってもらわないままで居てもらおうって思ってて。




*My Bloody Valentine。 1984年、アイルランド ダブリンで結成。
膨大な数のエフェクターを駆使して極端に歪んだギターに浮遊感のあるボーカルが特徴。
そのサウンドはシューゲイザーと呼ばれ、様々なフォロワーを生んだ。

*Ride。 1988年、イギリス オックスフォードで結成。
轟音ギターに清涼感のあるコーラスで初期のシューゲイザー・ムーブメントを代表するバンドの1つ。

* 僕の死んだ彼女。2005年、日本 埼玉で結成されたノイズ・ポップ シューゲイザーバンド。




薬師丸ひろ子とか、小泉今日子とか斉藤由貴とか。


作詞と作曲を手かげてるのはイトウさんだとの事ですが
元々歌謡曲のルーツみたいなものってあったんですか?

イトウ : 僕ホントに中学生くらい… かな? 
音楽を聞き始めた頃から、80年代のアイドル歌謡がとても好きで。
薬師丸ひろ子とか、小泉今日子とか斉藤由貴とか。

シューゲイザーをやってる方から
まさかそのラインナップが聞けるとは思いませんでした(笑)
ウランさんの方は、音楽のルーツみたいなものってありますか?

うらん : わたし、ずっとピアノとか吹奏楽をやっていたので
バンド音楽っていうものをほとんど知らなくて…(笑)
シンセサイザーの音色に触れたのもバンドを始めてからみたいな感じで。

溶けない名前 「ぼくらの倒錯ごっこ」




現在はシンセの音作りやフレーズはウランさんがつくられてますか?それともイトウさんが?

うらん : イトウさんの作る楽曲は音色を思い起こしやすくて、雰囲気で作っているんですけど。

イトウ(Gt.Vo) : なんか僕の歌詞を読んで勝手に物語を想像してるみたいで。

うらん : そうそう。イトウさんの歌詞を読んで勝手に想像して、そのお話の主人公の気持ちを考えて。
絶望的な音色を作ろうとか迷ってる時のフレーズを作ろうみたいな。

ここでも雰囲気で決めるっていうキーワードが出てきますね。

イトウ : セッションから始まったバンドだからでしょうね。
なので僕も弾き語りのコードと歌詞だけのデモしか持って行かないし。

歌謡曲の楽曲ってアレンジとか割と決めながらかっちり作って行く印象があるんですけど
バンドのセッションからアレンジが始まるのって面白いですね。

うらん : 実はわたし、最初まさか自分がボーカルになるとは思っていなくて(笑)

イトウ : そうそうそう。最初は僕が持って行った曲なので僕が歌っていたんですけど
さっき話したシューゲイザーを勉強しはじめた頃に
「シューゲイザーってどうやったらシューゲイザーを彷彿とさせる音になるんだろう?」って考えたら
男女のボーカルってシューゲイザーを特徴付ける重要な要素かもしれないって気がついて。
それでやってみようかって。

うらん : だから最初は歌うつもりもなくて、歌うってことになってびっくりしました(笑)



ライブ中も彼女が何をやるかわたし達も解らないんですよ。


現在はボーカルも溶けない名前の大きな特徴ですよね。
もう一つ溶けない名前を特徴付けるもので重要なのがアートワークだと考えています。
そちらのお話を聞かせて頂けますか。

イトウ : アートワークですが「おやすみAちゃん」*にお願いしています。
元々、彼女と僕は友達だったんですけど
僕がバンドを始めようかなって時期に彼女がたまたまセーラー服の自分の写真を撮った画像を
インターネット上にアップロードしてたんですよ。それでこれジャケットにできないかな?って思って。
それで彼女に
「バンドを始めようとしてるんだけど、この写真ジャケットに使わせてくれないかな」って言ってみたら
協力してくれるとのことだったので。それからは、いろいろバンドで使用する写真を送ってくれたり
彼女もメンバーというクレジットに入れる事を了承してくれたりって感じで。

「ぼくらの倒錯ごっこ」では
おやすみAちゃんのインスタグラムでの投稿動画を使用して独特な雰囲気を作り出していますね。
Youtubeでライブ映像を拝見させて頂いたのですが
おやすみAちゃん自身がステージ上でバンドと競演されていました。
ノイジーなギターサウンドの中に、セーラー服の彼女が佇んでいる光景は印象深かったです。

溶けない名前 「@DAYTRIP」




イトウ : 気分でステージにあがってくれるんですよ。ああしてくれ、こうしてくれとは僕は一切言ってなくて。

うらん : ライブ中も彼女が何をやるかわたし達も解らないんですよ。

じゃあ完全に打ち合わせとかは一切なしで?

うらん : そうなんですよ。だから「あっ!シャボン玉吹いてる!」って私たちも驚いたりして(笑)

やっぱり決めない面白さみたいなものを感じますね。
活動に関してはこれからこんな風にやりたいとかってあるんですか?
それともやはりそれもまだ決めないって感じなんでしょうか。

イトウ : ホントにマイペースにやれたらいいなって感じですかね。
音源は、いつかは全国流通にできたらいいな、いろんな人に聴いてもらえたらいいなってのはありますね。
それ以外は大好きな音楽をやっていけたらっていうくらいで。

音源ですが、ディスクユニオンの2014年03月の月刊ランキング
自主制作のミニアルバム「おしえてV感覚」が3位。「おやすみA感覚」が7位にランクインしていましたね。

イトウ : はい。そうみたいです。本当に買って頂いてありがたいですね。

最後に、これからの活動への展望があれば教えてください。

イトウ : やっぱり音源でいろいろな方に知って頂けたのは大きかったので
音源に力を入れたいっていう気持ちはあります。
だから次の音源をクオリティ高いものにしたいっていうのと
あと曲作り。今バンドの持ち曲が20曲弱あるんですが
それをさらに増やして、楽曲のクオリティという意味でも高いものをさらに作りたい。そしてそれをライブで演奏したいっていうのが 展望でしょうか。なんかめっちゃ普通な事言ってる。

本当に健全なバンドの姿という印象を受けます。本日はありがとうございました。



*おやすみAちゃん @oyasumi_milk(on instagram)。




    溶けない名前「おやすみA感覚 e.p」
     1. 刺したい(再録)
     2. ロボットと詩集
     3. ヰタ・マキニカリス
     4. ソーダ室へ行こうよ(再録)

    Disc Union








    溶けない名前「おしえてV感覚」
     1. 幽霊少女は八月を殺す
     2. 「さよなら」が呼んでる
     3. こわいせいめいたい
     4. ぼくらの倒錯ごっこ

    Disc Union







ライブスケジュール

2014.04.29@名古屋spazio rita
溶けない名前presents「おやすみA感覚vol.2」
[band] 溶けない名前、basquiat、the piqnic(浜松)、and more…
[DJ] sad_hyena
[live paint] コルカロリ
adv2,000/door2,500



























    溶けない名前
     2012年結成。歌謡シューゲイザーバンド。
     無気力なサイケデリア、浮遊感、幻想感、ポップなメロディと共存する幻惑的な世界。思春期。
     2013年3月、自主企画「おやすみA感覚vol.1」にて、死んだ僕の彼女
     少女スキップらとの共演を果たす。
    溶けない名前(http://tokenainamae.tumblr.com/)

2014年1月19日日曜日

 大島智子 ショートインタビュー


大きな目、あまりにも等身大の生活。
数年前からそんなイラストをWeb上にアップし続けていた、大島智子。
泉まくらや禁断の多数決のMVで注目を集める彼女に簡単な質問に答えて頂いた。



■ 健康で文化的な最低限度の生活

非常に特徴的なモチーフでイラストをお描きになられますよね?
イラストを描き始めたきっかけや、現在の絵につながる出来事があれば教えてください。

大島 : 子供の頃から絵は描いていました。今の絵柄に直結するのは中学一年生くらいのころ
好きな先輩にふざけているところを見られて恥ずかしかったという絵日記を描いた時です。
大学三年生くらいの時に、ペドロ・コスタ*の講演会を聴いて
現実を描写するしかないのだと思いました。
彼の撮った『ヴァンダの部屋』という映画は
ベッドが入ればいっぱいいっぱいの狭い部屋をただ延々と撮るというもので。
そこにある現実を描写するしかないのだという、諦めみたいなものを感じました。
同じくらいの時に日本国憲法の 「健康で文化的な最低限度の生活」というフレーズが
頭から離れなくなり、それからは半径1mの世界、A4サイズに収まる世界を描くようになりました。


































大島智子
「ガストでもロイホでもラブホでもいいよ」

*1959年、ポルトガル・リスボン生まれの映画監督。
「ヴァンダの部屋」ではスラム街を舞台に退廃的な映像美を見せた。



■ MVについて

大島さんはイラストを提供するだけでなく、ご自身も被写体となってMV*に参加されていますよね。
その点でなにか苦労や感じた事はありましたでしょうか?

大島 : 私のTumblrを観てくださったようで、MVのご依頼を頂きました。
私なんかでいいのかなあ、と思ったくらいで、特に苦労はしませんでした。
スケブリさん、細金さんはふざけながらも格好いい事をぽんぽんやるので
凄いなあと思いながらこそこそ観察していました。


*tofubeats 「No.1 feat.G.RINA」のMVでは、大島智子自身がモデルとなって出演している。


泉まくら 「balloon」




tofubeats 「No.1 feat.G.RINA」






■ 大島智子をつくったもの

ペドロ・コスタ 『ヴァンダの部屋』

大島 : 最初に観た時は退屈な映画だと思いました。
けれど、時間が経ってふとヴァンダの事を思い出すと涙がだらだらと流れてきました。
耐えられない退屈も私たちの戦場であり、ドラッグ依存や貧困でなくとも
私の生活の延長線上にそれらはある。

t.o.l 『TAMALA2010』

大島 : 中学生の時に雑誌で知り、衝撃を受けました。
ベジェ曲線で描かれた、 汚い東京と、SFと
ビッチでかわいい女の子と、感傷的な男の子。
私はずっとこれを求めていたのだと、栃木の片田舎で思いました。

岡崎京子 『pink』

大島 : 中学生の時、ブックオフで買いました。
最初は退屈で、外れの漫画買っちゃったな〜と思いました。
けれど、最後まで読んでみて
一気に今までのユミちゃんの退屈が愛おしく、心がヒリヒリと苦しくなりました。
私の生活の中にはユミちゃんがいます。
「シアワセなんて当然じゃない?血まみれなんて恐くない。だって女の子だもん」

坂口安吾 『青鬼の褌を洗う女』

大島 : 一番読んでいる小説だと思います。高校を退学になった頃に、押入れの中で読みました。
戦争が来ても親が死んでも、そんなものかとにこにこ、醜い久須美のお妾さんになってのんびり暮らしている。
嫌味がなく、天性のお妾気質であるサチ子は、永遠の私のミューズだと思います。



























    大島智子
     1988年9月 神奈川県生まれ。
     2008年頃よりTumblrにgifアニメを投稿し始める。
     主な作品に、禁断の多数決『ノスフェラトゥ』MV、泉まくら『candle』MVなどがある。
     (2014年1月現在、Tumblrは休止中。)

1984年10月27日土曜日

MASS番外編 「日々のあわ」恥ずかし自己解説。

■宇宙ネコ子とラブリーサマーちゃん「日々のあわ」恥ずかし自己解説。



2014年12月10(予定)に宇宙ネコ子とラブリーサマーちゃんのコラボレーション記念シングルを
大島智子さんの書き下ろしジャケットで8cmの短冊仕様にて発売します!(やった!)
そこで恥ずかしながら、誰も知りたくないかもしれないですが
自分へのメモも込めて 僕自身で曲の解説をやってしまいたいと思います。



■ 曲

曲づくりの記憶は曲自体を作った時期がかなり昔の事なので鮮明には思い出せないのですが
まず頭にYMOの「CUE」のドラムのテンポを思い浮かべながら全体の雰囲気を想像して作りました。



その上にTHE POLICEの「見つめていたい」のようなギターを乗せて軽く録音したのを覚えています。



ギターのアルペジオはSparklehorseの「Shade and Honey」のイメージ。



全体を通して鳴っている、ベンドしたようなギターの音色ですが
ジャズマスターのトレモロをロックした状態で無理矢理アーミングしたものに
うんとリバーヴをかけています。
バンドバージョンのレコーディングではそれをAKAIのサンプラーに落とし込んで、鍵盤の小林さんに演奏してもらいました。
当時、MOONRIDERSが大好きだったので、80年代のMOONRIDERSの楽曲で
印象的なフレーズがリフレインとして鳴ってるものが多かったので、それをイメージした記憶があります。
(裏で鳴っているふわ〜んとした感触のシンセのバッキングフレーズ)



イントロで聞けるペケペケしたミュートフレーズはART-SCHOOLの「君は僕のものだった」
フレーズの雰囲気を引用しています。
作った当初は気がつかなかったのですが、後に聞いてあまりにまんまだったのでちょっと恥ずかしかったです。

■ 録音

録音は2013年の11月に下北沢のHMCスタジオで城戸紘志さん(JUDEやILLでおなじみ)に手伝って頂きながら
ドラム録りから始めました。
12月に移ってからは、プロデューサーエンジニアの中村公輔さんの自宅スタジオに場所を移して作業。
ギターアンプは全て、中村公輔さんのFenderのPrinceton。
「日々のあわ」はほとんどリッケンバッカーで録音したはず。
ボーカル録りは当初、僕があまりに歌の録音が苦手なので
伸ばし伸ばしにしていた所、偶然Twitterでラブリーサマーちゃんの音源を聴くことがあって
歌声がとても印象に残っていました。
そこで意を決して、ラブリーサマーちゃんにコーラスの参加をお願いしたところ
OKしてくれたのでそのまますぐにレコーディングに誘ったと思います。
当初はコーラスだけの予定だったのですが、あまりに歌声が素晴らしいので
急遽、その場で2曲を覚えてもらって、全て歌って頂きました。本当にありがとう。
ボーカルが素晴らしいとこんなに楽曲の印象が変わるんだなと感じました。
ラブリーサマーちゃんの歌録りは全て中村公輔さんのスタジオの
AKGC414にNeve1290にUrei1176LN。