■ 高畠俊太郎 20周年記念 インタビュー 後編
1994年のメジャーデビュー以来
ULTRA POP、POINTER、AUTO PILOT、ニヤニヤ、高畠俊太郎BAND... 様々なバンドを率いて
その類い稀なるセンスとバランス感覚を発揮してきた高畠俊太郎。
現在も精力的に活動を重ねる彼だが
今年2014年は高畠にとってデビュー20周年の節目の年を迎える。
今回は彼の20年のキャリアを総括するという意味を含めて
今までの作品やエピソードを語ってもらった。
*このインタビューはあくまでも高畠俊太郎個人の記憶(かなり曖昧)によるものなので
細かいところや大きいところも事実と違うところが多々あると思いますが、 ご了承下さい。
■ 1999年 AUTO PILOT 結成
セカンド・サマー・オブ・ラブって感じで、遠い夏の記憶のようです。
それでは、POINTER脱退から
最新作「Transfer In Flowing Lights」までの期間を。
POINTERからAUTO PILOTまでの空白期間のエピソードが何かあれば聞かせてください。
高畠 : 完全に空白。もうバンド辞めようとも思ったし、どうしていいかしばらく分からなかった。
何してたんだか全然思い出せない。たぶん自分にとって凄く大事な時期だったんだと思う。
そう言えばその頃 知り合いを経由してMONOの後藤君から
「新しいバンド組むからボーカルやらない?」って電話あったんだけど
その時はほんのタッチの差でウオとAUTO PILOTをやるつもりになってたから断ったんだ。
人生タイミングだけど、もしあそこで一緒にやってたらオレがMONOで歌ってたかと思うと不思議な感じだよ。
そんな事もあったんですね。AUTO PILOTのメンバーとはどのようないきさつで
出会ったのでしょうか?
高畠 : フットサルのチームをやってて、そこで相手チームにいたウオズミと知り合いになってバンドの話しになったら
ウオがシーケンサーとかサンプラーを持ってるって言ってたので、じゃあスタジオ入ってみない?って感じで始まった。
POINTER後期の頃からオレらサンプラーとかシーケンサーで一晩中遊んでて
コンピューターやサンプラーとシューゲイズ的なノイズとロックンロールを組み合わせた新しい音像を探してた。
それでとにかくライブやっちゃおうってナカイにも声掛けて3人でライブやった。初ライブは下北沢CLUB251。
ちなみにセットは「C-C-C」と「Surf Game」の二曲だけで、両方とも歌詞無しで10分以上やってた。
ナカイは今でもリアルバースディでそんな感じでやってて相変わらずブレてない。カッコいいよ。
シューゲイザーにクリックハウスの雰囲気を持ち込んだりと
新たな方法論を試そうとしていました。複雑な手法なので苦労もあったのではないでしょうか?
高畠 : なにしろ当時はすぐ真似出来るようなお手本のバンドがなかったから自分達で色々試行錯誤しながら進んでたね。
シーケンサー、サンプラー、シンセ、ミキサー、コンピューター。色々組み合わせて一番面白い使い方を探してた。
PCとかでシーケンスを流してそれに合わせて演奏するだけだとやっぱり面白く無いので
最終的にはサンプラーのループとミキサーをリアルタイムでプレイしながら演奏するスタイルに行き着きました。
クリックに生演奏を重ねるだけだけだと安定感の変わりに、生演奏ならではのビート感が失われるということはありますが
リアルタイムでループ物をいじっていくのは、ライブではちょっとドキドキする手法ですね。
高畠 : 色々リスクはあるんだけど、やっぱりリアルタイムの緊張感というか自由度がないとつまんない。
ベースのAKOが抜けた後、ウオがベース弾くのが一番良いんじゃないかって事になって
その時からスーパーカーのコーダイにエレクトロニックセクションを手伝ってもらいました。
この頃はメンバーみんなでよくフェスとかレイブとか行って遊び倒してたなー。
セカンド・サマー・オブ・ラブって感じで、遠い夏の記憶のようです。

AUTO PILOT 「SURF GAME RIDER」(2001)
AUTO PILOTのデビュー・ミニアルバム。
ビッグビートやクリックハウスから影響を感じさせるシーケンスパターンに
USインディ直系のギターノイズを融合させた意欲的な作品。
このアルバムの発売年には、FUJI ROCK FESTIVALにも出演。

AUTO PILOT 「SUN GIRL STAR GIRL」(2002)
AUTO PILOTのメジャー・デビュー作品。
前作さながらの打込みはそのままに、シューゲイズの色合いが更に濃く。
#9には、この後長きにおいて高畠の作品のエンジニアを手がける事になる
中村公輔によるリミックスが収録されている。

AUTO PILOT 「WHITE LIGHT RIDE」(2004)
AUTO PILOT、3作目になるフル・アルバム。
サイケデリックな質感を増した本作。
横尾忠則の描くジャケットも印象的。
代表曲「C-C-C」を含む全10曲。
■ 2006年。ソロ活動開始。 ALBUM「爽雨」
現ちゃんがもう一度みんなと再会させてくれた。
2006年からはソロ活動を始めます。エピソードを聞かせてください。
高畠 : この頃まで自分的にはソロ活動とか全然考えてなかったし、どっちかって言うとダサイと思ってたから
誘われてもあんまりやってなかったんだけど、AUTO PILOTがなかなか思うように活動出来なくなってきて
でも何かしら活動を続けていきたくて、とりあえずひとりでもやっていようと。
でも最大の理由は下北に440が出来た事かな。それってその後の音楽シーンに凄い影響あったと思う。
440が下北沢に出来た頃だったんですね。ソロ活動を始めた直後には
ソロデビューアルバム「爽雨」の制作を開始していますね。
高畠 : 初めてのソロのレコーディングで
それまでずっとやってきたバンドのレコーディングと全然違うやり方だったから最初はかなり戸惑った。
アンサンブルを作る時間が圧倒的に少なかったし、ひとりで全部決めなきゃならなかったから。
でもこれが凄く良い経験になって、この後の「Transfer In Flowing Lights」の制作の時にとても役立ちました。
この頃はまだオートが活動出来ていたので、このアルバムはAUTO PILOTでは出来ない音像を目指して作ったんだけど
POINTERのミキにエレキギターで参加してもらって、この時の音像が軸になったからこそ
その後の俊太郎BANDのサウンドに繋がっていったんだと思います。
「爽雨」が一段落ついた後の活動にはULTRA POPのベースだった石川具幸さんが参加されていたりと
また俊太郎さんを囲む雰囲気が変わってきていますね。
ULTRA POPの解散以降は全く関わりはなかった?
高畠 : 下北440で始めた「headLine」という自主イベントに上田現ちゃんにゲストで出てもらった時
現ちゃんのサポートとして来たトモと凄く久しぶりに再会しました。
お互い別の道だけどまだがんばっている事を励まし合ってその日はそれで終わったんだけど
そのあとしばらく経った頃、現ちゃんが亡くなった日にすぐにトモが電話で知らせてくれた。
慌てて飛び出して、マグミさんや恭一さんや
ULTRA POP時代にお世話になったままブっちぎってしまったスタッフのみんなとも再会する事が出来ました。
現ちゃんがもう一度みんなと再会させてくれた。
そう感じたら、もう一度トモとバンドをやりたいと思い始めました。
上田現さんの存在の大きさを感じるエピソードですね。
この年には「sing as you are」のレコ初ライブを下北沢440で行っています。
高畠 : 「sing as you are」のレコ発ライブをどうしてもバンドでやりたくて、トモに一緒にやろうって声掛けて
「爽雨」から一緒にやってたミキと、スーパーカー、AUTO PILOTから腐れ縁のコウダイを誘ってバンド結成です。
この時やっとバンドに戻って来れたという感触があって、本当に凄く嬉しかった。
やっぱりバンドが一番好きなんだな。
